山九株式会社の副社長をしておられた、故 中村雅一氏は高校在学中に父親をなくされ母子家庭の中で成人されました。
大学卒業と同時に祖父が設立した事業を継ぐため山九株式会社に入社し、若くして副社長となり将来を大いに嘱望されておりました。しかし志半ばにして健康を損ない、療養生活を送るようになりました。
療養生活中、数多くの人々から寄せられた励ましに、人の温かさを知り深い感謝の気持ちを抱くようになりました。そして、「将来性のある優秀な学生諸君で、たまたま父をなくしたために、安心して学業に専念できない人たちに対し、多少なりとも、お役に立つことができたら幸せだ。」との思いから山九株式会社の発祥の地である福岡県で、母子家庭の子女のために、育英事業を行うことを思いたたれました。

 その実現を夢見ながら療養に専念していましたが、その甲斐もなく昭和54年10月8日享年36歳という若さで人々から惜しまれつつ長逝されました。夫人の中村福子氏は、深い悲しみの中にも拘らず、ご主人の遺志を継ぐことが何よりの供養であると思い、育英会設立を会社の幹部や各界の名士に相談されました。幸いにも励ましのお言葉とご助力を頂き、福岡県に「財団法人 ニビキ育英会」の設立を申請しました。

 このようにして育英会設立のために多額の財産を寄贈し、亡きご主人のかねてからの願いを果され、昭和55年4月1日「財団法人ニビキ育英会」が設立されました。
平成26年4月1日より公益財団法人に移行し、「公益財団法人 ニビキ育英会」として新たな一歩を踏み出しました。